ジチ、ミハーイ Zichy, Mihály 1827~1906

 ハンガリーの地方貴族の家柄に生まれ、ウィーンでヴァルトミュラーに師事し、そののちロシアに渡ってアレクサンドル二世、アレクサンドル三世、ニコライ二世の歴代三代にわたりロシア宮廷画家をつとめる。ロシアの宮廷画家、アカデミー画家として、あまたの肖像画や風景画や歴史画をこなすとともに、レールモントフ、ゲーテ、ゴーチエらの著作に見事な挿絵も手がけた。

 この多才な画家はエロティック・アートでも麗筆をふるった。この手の作品を生涯にどれだけの数を描いたかは不明である。しかし、今日ジチのエロティック画といえば、『愛』(リーベ)と題されて1911年にライプチヒで300部限定で私家出版された素描集の40点がもっともよく知られている。

 『愛』には、当時としてはじつに倒錯的な主題が赤裸々に語られている。男色、男同士のマスターベーション、クンニリングス、フェラチオ、幼児の手淫、老人の小児性愛、妊婦との性交、マスターベーションする子供たち等々。 『愛』はじつのところ、ジチの性愛の回想録のようだ。性衝動に目覚める幼児期に始まり、召使い女、叔母、家庭教師、モデル、そして妻とのめくるめく性愛の追想に彩られている。ジチは象徴的手法をいっさい用いず、性愛描写の自然主義を貫いている。回想のなかの性行為の「現場」を押さえた作品、それが『愛』である。

 

(ジチ略年譜)

1827年 ハンガリー西部の地方都市ザラに生まれる

1843~45年 ウィーンでビーダーマイヤーの画家F.G.ヴァルトミュラーに師事

1847年 ロシア大公妃の娘の絵画教師としてサンクトペテルブルクに移住

1858年 フランスの作家ゴーティエの訪問を受け、絶賛される

1859年 ロシア皇帝アレクサンドル2世の宮廷画家に任命される

1860年代末 宮廷画家の地位を放棄

1874年 ロシアを去り、翌年から79年までパリに滞在

1880~81年 ザラ、ウィーン、ヴェネチア、コーカサスなどを歴訪

1882年 ふたたびロシアに戻る。その後アレクサンドル三世、ニコライ2世の宮廷画家を務める

1906年 サンクトペテルブルクにて死す

 

Zichy, Mihály

Liebe

Leipzig, 1911

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