ミケランジェロ・ブオナローティ Michelangelo Buonarroti 1475~1564

 ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂を飾るミケランジェロの《最後の審判》や天井画には、正直言って辟易させられた向きも多いのではなかろうか。神聖なる礼拝堂に、いかに聖書を題材にしているとはいえ、筋骨隆々たるはだかのキリスト以下、マッチョな男たちが織りなすヌードの洪水である。

 毒筆で鳴らしたルネサンスの怪人物ピエトロ・アレティーノに、1545年の公開書簡で「女郎屋の壁に掛けるのがお似合いだ」と毒づかれ、はては弟子のダニエーレ・ダ・ヴォルテラによって腰巻きが加筆され局所が隠されるにいたったのも、当時のモラルを考えれば宜なるかなである。ちなみに、ヴォルテラはこの雇われ仕事によって「フンドシ屋」なるあだ名を頂戴したのは有名なエピソードだ。

 ミケランジェロの作品を理解する最大の鍵は、古代彫刻でも人体解剖学でもない。じつはこの悲劇的天才のセクシュアリティにある。キリストのセクシュアリティという刺激的テーマに初めて取り組み物議を醸した美術史家レオ・スタインバーグは、ミケランジェロのピエタ像のエロティックな魅力を論じた論考で次のように述べている。「ミケランジェロの芸術表現法の多くは、その奥に潜むセクシュアリティを解明しないかぎり理解できない。彼が表現する肉体は、動作中のものであれ、静止したものであれ、その肉体の性によって支配されているのだ」。

 ミケランジェロ理解の最大の鍵、それははっきりいって同性愛にほかならない。エロティック・アートの蒐集、研究にいち早く取り組んだエードゥアルト・フックスも指摘しているように、同性愛の資質は彼のすべての作品に息づいており、その刻印が残されていないような作品は一つとしてないといってよい。

 したがって、システィーナ礼拝堂のあの筋肉美溢れる男たちの群像から、《瀕死の奴隷》や《ダヴィデ》といった男性裸体彫刻、それにユピテルが鷲に変身して美貌の少年を連れ去るという《ガニュメデスの誘拐》のような素描にいたるまで、ミケランジェロ作品は総じて、まず第一に男性の肉体の性的な魅力に捧げられたものと考えて差し支えないであろう。

 

 

《瀕死の奴隷》 1513-15年
《瀕死の奴隷》 1513-15年

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