死の輪舞:あるいはもう一つの世界へのいざない

                       田中 雅志(作家)

 

 一つの時代には、その時代をよく物語る言葉か必ずやあるものだ。すべてが崩壊へと向かう19世紀後半のハプスブルク帝国にあって、その言葉とはまさしく「死」にほかならないだろう。本稿は、「死」をキーワードとして、ミュージカル『エリザベート』とその作品世界の背景をなしている西洋の精神文化とを読み解いてみたい。

 

 

 現代は死が隠蔽された時代といわれる。メディアでは仮想の死が氾濫するいっぽう、本物の死は巧妙に隠されている。死にゆく人々はみな病院に隔離され、私たちは事故や災害にでも遭遇しないかぎり、日々の生活でリアルな死に接する機会はほとんどない。

 

 しかし、そんな今日にあっても、日常のなかで死と向き合うことのできる場所がある。ウィーンの街の中心にそびえ立つ聖シュテファン大聖堂もそうした場所の一つだ。

 

 この大聖堂の地下には、カタコンベ(地下墓所)が広がっている。カタコンベは14世紀に造られた古い部分と、18世紀に造られた新しい部分とに分けられる。古い部分は大聖堂の真下にあたり、歴代ハプスブルク王家の人々の内臓を納めた壺が安置されていることで知られる(心臓だけはアウグスツィナー教会に納められた)。臓物を取りだされた遺体はといえば、かわりに蜜蝋を詰められ、金属製の柩に納められて、カプツィーナー教会地下の皇帝廟に安置された。エリザベートや夫フランツ・ヨーゼフや皇太子ルドルフも、この皇帝廟で永久の眠りについている(内臓摘出の慣習廃止後のため、三人の亡骸は腑分けされていない)。

 

 新しい部分は、シュテファン広場の下に広がる。ここには公共の墓室が30ほどあり、一室あたりに約五百の柩が納められている。なかにひときわ大きな墓室があり、全部で約二千体分の遺骨が一緒くたに山積みされている。1713年ウィーンで最後の黒死病流行のため死んだ人々の人骨だ。あまりの死者の多さに柩で埋葬しきれず、死体は広場からじかに墓室へ放りこまれたという。

 

 聖シュテファン大聖堂は、その地下に眠る死者の魂を浄化しているかのようだ。天に向かってのびるたくさんの尖塔は、魂を天上界へと送りだす発射台にも見える。この聖なる祈りの空間は、死者ばかりか、この街に暮らす人々や訪れる人々をも癒しているだろう。外壁のどす黒い汚れは、粉塵や酸性雨の影響にくわえて、聖堂内で吐きだされたマイナスの念のせいにも見える。

 

 さて、ミュージカル『エリザベート』は世界中で大きな成功を収めたが、その理由の一つは「死」を大抜擢したことにあるだろう。つまり、黄泉の帝王である死神トートという架空のキャラクターを導入し、しかも彼を裏の主人公に据えたことにあると思われる。

 

 それでは、トートとははたして何者なのか。トート(Tod)とは、ドイツ語で「死」または「死神」を意味する言葉である。本作では、恐ろしくも妖艶な黄泉の帝王であるが、生身の人間の女エリザベートを愛してしまうすこぶる人間味のある死神だ。そんな彼の出自を訪ねて、西洋における死の歴史を少しく振り返えってみよう。

 

 古代ギリシア人は死そのものを神格化したタナトスという神を考えだした。タナトスは夜の女神ニュクスの息子で、眠りの神ヒュプノスとは双子の兄弟である。彼の仕事は死者の魂を冥界へと道案内することとされた。その冥界を支配しているのがハデスである。冥界の神ハデスはゼウスとポセイドンの兄であり、父クロノスとの戦いに勝利したのち、兄弟同士のくじ引きで地下世界を割り当てられたのだった。

 

 新約聖書に語られる代表的な死のイメージも挙げておこう。ヨハネによる黙示録6-8には、次のように語られている。「すると、私の前に蒼白き馬が現われた。その馬に乗っている者は『死』という名で、ハデスを従えていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と病と地の野獣で人々を殺戮する権威が与えられた」。

 

 生者を脅かす死の言説やイメージが噴出するのは中世終期である。これには、人口の三割を奪ったという14世紀の黒死病の流行が大きな影響を及ぼした。「死を想え」(メメント・モリ)という警世の句が好んで囁かれ、「往生術」(アルス・モリエンディ)という良き死を迎えるための指南書が流布する。

 

 また、死は身分の貴賤や老若男女を問わず平等に訪れると教唆する「死の舞踏」「死の勝利」「三人の死者と三人の生者」といったテーマの図像が流行した。そうした図像では、骸骨や屍体で表現される死の擬人像が主役を演じた。15世紀中頃には、大鎌を手にした死神のイメージがルネサンスのイタリアに広まり、やがてフランスやドイツにも波及する。

 

 それでは、西洋でこのように死をめぐる神話が紡ぎだされ、死が擬人化され、死神のような死の象徴が生みだされた背景には、どのような心的動機が潜んでいたのだろうか。そのことは、人間が死者を埋葬する唯一の動物であることと深く関係しているようだ。

 

 イギリスの作家P・ニューマンは次のように指摘している。「死によって混乱した感情を一定の方向に導くようにするには、一連の手だてを援用する必要があった。こうして、先史時代の人々は、死の哀しみを儀式化し始めたとき、新たな克服を成し遂げた。初めて送葬の歌を作曲し、死体に化粧や着衣を施し、葬列を作って道を練り歩き、骨や道具や貝殻を選り分け配列し、墓所や葬儀場を造った。このような儀式や設備はすべて、原初の恐怖を解消し、流動的なものから確固としたものを作りだす、素晴らしい手段に思えたにちがいない」(『恐怖の歴史』、三交社刊)。

 

 死の神話や象徴も、以上の死の儀礼とおおむね同じ意図から発していたにちがいない。つまりは、死の恐怖の克服である。われらがトート閣下の出自の秘密も、このあたりにあるだろう。

 

 皇妃エリザベートが凶刃に倒れることで一つのクライマックスを迎える19世紀末の時代精神としての「死」は、しかし、おぞましさや不気味さとはほど遠い。といって、耽美で頽廃的という形容ではこと足りない。そこには、なによりも、滅びを前にしての、みずからの尊厳を賭した、気高い精神のありようが刻印されていたことを見落としてはなるまい。

 

 『エリザベート』に戻ろう。死神トートとエリザベートが織りなす愛と死の輪舞は、私たちがこの物質世界でさまざまな苦難に出会い、愛と苦悩という炎でみずからの魂を陶冶していく過程の寓意でもある。トートがいざなう輪舞の行き着く果ては、むろん黄泉の国であろう。しかし、そこは永遠の楽園かもしれない。

 

 いずれにしても、二人の輪舞は私たちに現実世界とは別のもう一つの世界があることを想い起こさせてくれる。日々の生活に埋没した魂にとって、それは癒しであり、浄化である。舞台という空間は、あの大聖堂の清浄なる空間と軌を一にしているのだ。

 

 

 

*出典:「死の輪舞:あるいはもう一つの世界へのいざない」(東宝製作ミュージカル『エリザベート』公演プログラム, pp.104-105, 2008-11)

 

 

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