フ ァ ロ ス の 王 国

         田中 雅志

 

 いまから80年ほど前、大英博物館の至宝「エルギン・マーブル」の洗浄が行われた。ところがこの洗浄、「ギリシャ彫刻はより白くあるべき」との方針に従ってハードに行われた。そのため、わずかに付着していた色までそぎ落としてしまった。かくして、パルテノン神殿を飾っていた彫刻群の多くは、現物からかつての色彩を復元するすべを永遠に失ったのである。

 ギリシャ彫刻がもともときらびやかに着色されていたことは、今日ではよく知られている。最近では彩色された古代彫刻の特別展が開かれているし、コンピュータグラフィックスによる色鮮やかな古代の神殿や彫刻の再現映像をネットで手軽に閲覧することもできる。

 「エルギン・マーブル」の残念なエピソードは、古代芸術にたいしてこれまで抱かれてきた誤解や偏見を象徴的に示しているように私には思える。ギリシャ彫刻といえば、純白の大理石というイメージだ。18世紀ドイツの美術史家ヴィンケルマンが述べた「高貴なる単純と静かなる偉大」の世界である。ギリシャ美術は清冽、静謐、理知的であらねばならない、というわけだ。

 しかしながら、ギリシャ彫刻を含め古代美術は、清冽、静謐なものだけでなく、好色なもの、グロテスクなものが跋扈する世界でもあることを見落としてはならない。19世紀ドイツの哲学者ニーチェが看破したように、肉欲や官能や陶酔うずまく「ディオニュソス的世界」でもある。そのことは、乱交や少年愛が描かれたギリシャの壺絵、神殿に鎮座する屹立した男根像、男根を象ったランプ、男女の愛の交わりを活写したポンペイの壁画などなど、たくさんの性の遺物が雄弁に物語っていよう。

 はるか昔のアートを偏見なしに理解するのは、私があらためて言うまでもなく、じつに困難なことだ。自分の時代・社会の考え方や価値観を知らず知らずに滑り込ませてしまうからだ。例えば、古代の性の遺物にたいして、「ポルノ」という言葉は、はたしてどこまで当てはまるであろうか。

 そもそも「ポルノ」は18世紀になってようやく西洋で使われだした言葉であり、すこぶる西洋近代的な観念を孕んでいる。「エロティック」にしても、17世紀からの言葉で、同じようなことがいえよう。つまり、今日的な概念や価値観ばかりで解釈してしまうと、往時のアートの実相に近づくのは困難であるということだ。

 古代ギリシャ・ローマの人々の性的なイメージ表現を理解する上で、きわめて重要な事柄がある。それは、彼らにとって、性と宗教と魔術とは渾然一体のものであったということだ。例えば、神話の伝える神々の愛は、自然の豊穣多産の象徴的表現でもあった。古代の性愛表現は、ある程度までエロティックまたはポルノグラフィックなものであると同時に、聖なるものであったり、繁栄祈願であったり、魔除けであったりしたのだ。

 

古代ギリシャの陶器

 壺、皿、碗、杯といった陶器は、当時も贈答品としてよく使われた。贈り主は往々にして注文で絵柄を描いてもらった。そのため、TPOに応じて絵柄を選ぶことができた。そうした品々のなかには、恋人や娼婦への贈り物もあり、それらに性愛の場面が描かれるのは珍しくはなかった。

 ルーヴル美術館所蔵の有名な赤像式杯には、何組ものカップルが繰り広げる奔放な乱交場面が描かれている。一説によれば、この杯はおそらくその種の贈り物であって、乱交場面は豊穣多産を祝した宗教儀礼におけるクライマックスの様子を写したものであろうとのことだ。

 古代ギリシャ人はあらゆる種類の性愛に浸ってもよいとのお墨付きを神々から与えられたといえる。性的興奮はディオニュソス信仰との結びつきによって神聖な性格を帯びていた。ディオニュソスはギリシャ神話に登場する豊穣とブドウ酒と酩酊の神であり、もともとは東方起源の宗教の主神であった。その儀式には集団的狂乱や陶酔をともなった。ギリシャの陶器には、このディオニュソスの儀式における性的な場面が数多く描かれている。

 陶器にはまた、同性愛の場面がよく描かれた。広く知られているように、古代ギリシャでは同性愛、それもとくに少年愛はごく自然であり望ましいとされた。神話が伝えるユピテルとガニュメデスの愛、アポロンとヒュアキントスの愛は、それを雄弁に物語っていよう。

 

男根崇拝

  先述のディオニュソス信仰は男根崇拝をともなっていた。古今東西のさまざまな宗教で見られる男根崇拝であるが、ギリシャのそれは古代エジプトの豊穣神ミンからおそらく継承されたものである。この男性器への崇拝をかたちにしたのが、ディオニュソス神殿のあまたの男根像である。デロス島の同神殿の巨大な男根像は、その代表的な作例である。

 男根崇拝に係わるもう一つの神がプリアポスである。ギリシャ神話でディオニュソスとアプロディテの間に生まれたとされ、庭園や果樹園の守護神で、生殖と豊穣を司る神である。プリアポスは古代ローマ人によっても好まれた。ローマ人はそうした男性器のイメージが霊験ある護符であると信じていた。こうした男根への信仰・崇拝を示す数多くの事例は、ポンペイの遺跡からもたくさん見つかっている。

 翼や後ろ足が生えた男根で小さな鈴がぶらさがっている魔除けや幸運のお守り(ティンティナブラム)。男根を象った屋内用ランプ。脚に勃起した男根が象られたテーブル。男根はモザイクの床にも描かれた。民家の壁や墓石にもしばしば取り入れられている。ヴェッティの家では、プリアポスが自分の巨大な男根の重さを天秤で量っている壁画が発見された。天秤のもう片方にはお金の袋が、その下には果物や作物が描かれている。この壁画には、魔除けと豊穣祈願という二重の願いが込められていたにちがいない。

 ヘルメー(ヘルメス柱像)も挙げておこう。これは長方形か正方形の柱で、柱の上にヘルメス神の胸像が乗っており、柱の部分には男性の生殖器が付いているものだ。古代ギリシャで土地の境界線を示す目印として使われ、また幸運や多産をもたらすともされた。


ポンペイの壁画

  それは私が二度目にポンペイを訪れたときのことだ。とても暑い夏の午後だった。でこぼこの石畳の通りを歩いていると、誰かがある遺跡の建物の前で近くの人たちを手招きしている。なにか「お宝」を見せてくれるのだとピンと来た。期待を込めて近寄ると、ガイドらしきその人は、お金を請求することもなく、鍵のかかった扉を解錠して、私を含め10人くらいの人たちを中に入れてくれた。

 内部はうす暗くてひんやりとしていた。いくつかの小部屋に仕切られている。私たちはその小部屋の一つへと案内された。壁を見やると、彩色された絵があった。絵の状態はあまり良いとはいえない。しかし、男女が寝台の上で交わっている様子ははっきり見てとれた。壁際には石造りの寝台の跡もあった。片端が頭をのせるほうで高くなっている。壁画と同じ艶景がこの寝台で秘めやかに繰り広げられたのだろう。人間はいまも2000年前も同じことをしているのだな、と私は感じたものだ。

 ポンペイの街のあちこちに、売春宿、終夜営業の居酒屋や宿屋、そして公共浴場があった。そうした場所の壁には、いろいろな体位で交わるさまざまな愛のかたちが活写されている。なかには、全裸の女性が両股を開いて男性にクンニリングスをしてもらっている壁画もある。公共浴場跡から発見されたこの壁画は、圧倒的に男性優位社会と思われていた古代社会にあって、じつに珍しい作例といえよう。

 ある研究者は以上のような壁画の「ハード」な性行為の表現と、ランプや陶器に描かれた同種の表現とを比較調査した。その結果、それらの描写は図像的な関連性をもっており、そのことから、こうしたセックス描写の源をなす、絵入りの性交体位の書が、現存はしないがヘレニズムの時代にはあったはずだと結論している。

 性愛や性器がはばかりなく表現された以上の古代アートの数々を考えると、私たちは古代の人々がセックスを自由に謳歌していたような印象を受ける。たしかに、中世以降のキリスト教社会に比べれば、性は格段に身近で開放的であったにちがいない。ただし、一見して自由な古代人の性には、社会的な身分や地位や性差による制約があったということを最後に付言しておこう。例えば、自由民の男性は自分の女奴隷を思いのまま犯した。それにたいして、自由民の女性は、もし奴隷の男性と寝たのがばれたりすれば、自分も奴隷の身分に転落するはめになった。「人々は罪悪感なしに愛の営みを交わしたとはいえ、相手が誰でもいいというわけではなかった」のである(ジャン=マニュエル・トレモン『69秘められたエロス 古代から現代-愛と欲望のアート』、パイ・インターナショナル刊)。

 

[出典:『芸術新潮』63(2), 浮世絵vs.世界のエロス 春画ワールドカップ」<特集>, pp.74-77, 2012-02)]

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