ヴァンパイア・ツアーへ ようこそ!

 

田中雅志

(作家・翻訳家)

 

 日暮れとともに棺から目覚め、獲物を求めてさまよう黒い影。その禍々しい一族は生き血を啜り、何百年にもわたって生きながらえてきた。不死という永遠の苦悩を背負いつつ......。本稿は、この呪われた血族の正体を探る魔界ツアーである。これからしばし、時空を超えて、彼ら魔族がする悪所巡りへと、ともに旅立つとしよう!

 

 

 今日では、吸血鬼といえば、ホラー界の大スターだ。映画やアニメ、小説や舞台にと、世界じゅうで大忙しの超人気者である。けれど、吸血鬼は人間の空想が生み出した架空のキャラクターにすぎないのであろうか? 

 それはさておき、旅立つ前に、まずは頼りになる武器を調達しておこう。魔界を旅する皆さんが、血に飢えた悪鬼の毒牙にかからぬように。

 2006年、吸血鬼退治キットがイーベイ・オークションに出品された。1880年頃ルーマニアのトランシルヴァニア地方で製造され、実際に使用されていたという触れ込みの品である。キットの中身といえば、聖水を入れる瓶、液状ニンニクを注入するための注射器、吸血鬼の胸に打ち込む十字架型の木製杭にハンマー、ナイフ、吸血鬼の牙を抜くためのペンチ、銀製の十字架、それに聖書などからなっている。この一式、真贋は定かでないが、95万円ほどからスタートし、マニアがかなりの高額で落札したという。

 

イタリア~ルーマニア~イギリス歴訪

 私たちもこれと同じキットを手に入れた。さあ、いよいよ出発である。最初の訪問地は、イタリアのヴェネチアだ。

 今年3月、イタリアの研究グループが女性の「吸血鬼」の頭蓋骨を発見したとのニュースが報じられた。頭蓋骨が見つかったのは、16世紀ヴェネチアの黒死病流行で死んだ犠牲者らを埋葬したラッザレット・ヌオーボ島の集団墓地である。

 この頭蓋骨、口の部分にレンガが押し込まれている。当時、「吸血鬼」(より正確には、今日でいう吸血鬼に相当する存在)は、人々の血を吸うというより、死後に屍衣を噛むことで疫病を伝染させると信じられていた。そのため、「吸血鬼」と疑われた遺体にたいして、このような処置を施したものと考えられている。

 発掘調査を行ったフィレンツェ大学の法医考古学者マッテオ・ボリニ氏によれば、この発見によって、疫病流行の背後には「吸血鬼」がいると信じられていたことが裏付けられ、また「吸血鬼」にたいする悪魔払いの儀式が初めて明らかになったとしている。

 吸血鬼はホラー映画の銀幕ばかりでなく、現実の歴史にもしっかり足跡を残しているようだ。だが、こんな吸血鬼信仰は遠い過去の出来事にすぎないのでは?さて、次の訪問地は、吸血鬼伝説のメッカ、東欧のルーマニアだ。

 2004年ルーマニア南部の寒村で、ペトラ・トーマンという老人が死んだ。ところが、埋葬ののち親族の男たちによって掘りおこされ、遺体の心臓が切りとられるという事件が起こった。親族は、トーマンが死後に蘇って血を吸っている夢を見たという。そのうえ、身内の何人かが病気になった。このため、親族のある者はトーマンが吸血鬼になったと確信。そして、えぐりだした心臓を焼いて灰にし、その灰を病気になった者に飲ませた。すると病気は治り、悪夢も見なくなったという。

 吸血鬼信仰は21世紀の現代も生きているのだ。しかし、信仰ではなく、吸血鬼そのものは実在するのだろか?それを検証すべく、今度はイギリスに飛ぼう。

 2001年、英国ウェールズ地方アングルシー島で、17歳の少年が老女を殺害し、その血を飲むという猟奇殺人が起こった。少年は近隣に住む老女を22箇所もめった刺しにし、心臓をえぐりだし、流れだす大量の血をほうろうの鍋に入れて飲み干した。少年は吸血鬼伝説にとりつかれ、他人の血を飲めば永遠の命が得られると信じて凶行に及んだという。

 この年若い流血犯は吸血鬼というより、生身の人間にちがいない。だが、吸血鬼という存在は、けっして絵空事ではなく、21世紀の現代人にいまだ影響を及ぼしている現実である、ということが了解していただけたと思う。

 

古代から現代まで

吸血鬼の系譜をたどる旅

 それでは、吸血鬼とはいったい何者なのか?やはり妄想や迷信の産物にすぎないのか?それとも、過去には本当にいたのか?もしかしたら、いまも実在しているのであろうか?それを探るべく、今度は有史以来の吸血鬼の系譜を歴訪してみたい。

 ヨーロッパで吸血鬼が「ヴァンパイア」(英仏vampire、独Vampir)という名前で呼ばれるようになるのは、じつは18世紀初め頃のことである。よって、言葉の厳密な意味では、それ以前において吸血鬼(ヴァンパイア)は存在しない。とはいえ、むろんそれ以前から、血に飢えた怪物(吸血鬼的現象)は、古より世界各地で伝えられてきた。

 古代バビロニアには、乳飲み子の血を吸う女妖怪リリトの言い伝えがある。古代ギリシア・ローマ神話には、ラミア、エンプーサ、ストリガといった、吸血・人肉食の恐ろしい女の魔物たちが登場する。その系譜に連なるものとして、アラビアでは死肉を喰らう悪鬼グール、インドでは人肉食の女神ダーキニー、わが国では子どもを掠っては喰らう鬼子母神がいるだろう。

 中世~近世キリスト教世界では、死者が蘇り、生き血を吸い、人間とくに身内の者を害する、といった伝説が間欠的に流布した。そうした死者は、中世ドイツの「ナハツェーラー」をはじめ、地域によってさまざまな名称で呼ばれた。黒死病が流行すると、病はそれら死者の呪いのせいとされた。また、インクブス(男夢魔)やスクブス(女夢魔)という、寝ている人間の血や精液を吸いとる魔物も信じられた。東欧や南欧では、ブルカラカスをはじめとして、血に飢えた恐ろしい死者の蘇り伝説があまた流布している。

 これら魔界の住人に、魔女や人狼も加えることができよう。そして、彼らいわば吸血鬼の前身たちが習合し、18世紀初め西欧で「ヴァンパイア」という統一的概念が成立したと考えられる。

 その18世紀は、吸血鬼信仰の黄金時代であった。東欧には蘇った死者の伝説がうずまき、吸血鬼に関して数々の報告がなされ、その存在の有無について大論争が巻きおこった。

 19世紀になると、産業革命が進展し、人々のあいだに合理的な考え方や物質主義が行きわたる。そのため、吸血鬼伝説を真に受ける者はさすがにほとんどいなくなった。そのかわりに、吸血鬼はおもにフィクションの世界で暗躍することになる。そして、この傾向は今日まで続いている。

 

科学のメス

 それでは、なぜ有史以来、あのような血塗られた吸血鬼伝説が綿々と受け継がれてきたのであろうか?この疑問にたいしては、近代以降さまざまな科学的説明が試みられてきた。そのおもな説を概観しよう。

疫病】黒死病やコレラや結核のような致死的疫病の流行した時期と、吸血鬼伝説が広まった時期とは、往々にして重なっていた。そのため、病原菌の観念がなかった時代、疫病による死の連鎖を、吸血鬼という超自然的存在のせいにしたのではないかという説。

【早すぎた埋葬】土葬の慣習の土地柄ならではのことであるが、墓は移設や吸血鬼の疑いを確認するためによく掘り返された。そこで、人々は棺でもがき苦しんだ形跡を目の当たりにし、死人が吸血鬼になったと信じた。しかしこうした生ける屍の伝説は、一時的に仮死状態に陥っている者を、すでに死んだと見誤って埋葬したためとする説。生死の線引きは現代医学をもってしてもきわめて微妙であり、早すぎた埋葬の事例は今日にいたるまで驚くほど数多く伝えられている。 

死体の腐敗過程】吸血鬼とは、さまざま腐敗現象を起こす死体のことだったとする説。例えば、人間の死体は内臓の腐敗が進行すると、鼻や口から血液のような暗褐色の体液が流れだす。ところが、昔の人はこのメカニズムを正しく理解できず、吸血鬼の犠牲となった証拠であると考えた。また、体液が口元から流れだした屍体をみて、生者から血を吸っていた証拠だと考えた。

ポルフィリン症】この遺伝病は、血液のヘモグロビンを合成する機序が正常に働かなくなる。いわば、光アレルギーだ。陽の光を浴びると皮膚がただれ、歯肉が萎縮し、歯が赤く変色したり牙のように長く見えたりする。そのため、医学知識の乏しかった時代、この病がドラキュラ伝説の一因になったのではとする説。

 以上、諸説を紹介したが、むろん科学的説明で吸血鬼現象がすべて解き明かされるものではない。科学や理性は吸血鬼など迷信と断じるが、もしかして世界のどこかに正真正銘のヴァンパイアが生息しているやもしれない。あなたの住む街に息を潜めている可能性だってある。そう想像するほうが楽しいではないか。

 

なぜ吸血鬼はセクシーなのか?

 最後に、吸血鬼の魅力の謎に迫ってみたい。とくに、吸血鬼の放つ、あの官能的なオーラである。なぜ吸血鬼はセクシーなのか?これがツアーの最終目的地である。

 もともと吸血鬼はおぞましい怪物でしかなかった。それが、近代ロマン主義や19世紀末の文学・芸術をへて、耽美で貴族的なイメージへと変貌を遂げた。そして、現代メディアでも、クリストファー・リーからブラッド・ピットにいたるまで、呪われた一族のエロテックな血脈は脈々と受け継がれている。

 さらに深層心理的な解釈として、ある識者は次のように指摘している。「伝説の吸血鬼は、キリスト教ののちに生まれたにすぎないが、それは禁欲を説き魂の重要性しか認めないキリスト教の教義を前にして、肉体の権利を主張し、もっとも深奥な生物的本能の権利とを主張するためであった」(O・ヴォルタ)。吸血鬼伝説は、キリスト教が魂や精神を偏重し、肉体や本能的欲求をないがしろにしてきた反動というわけである。

 本ミュージカル『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の後半で、クロロック伯爵は吐露する。「卑しく恥ずべき欲望こそが、我らの支配者......尽きない欲望こそが、この世界で最後の神になるのだ」。このセリフは、まさに根源的なエロスの欲動を主張するものにほかならないであろう。

 

 以上で、吸血鬼の正体を探る本ツアーもいよいよ終了である。残念ながら、この駆け足ツアーでは、呪われた一族の解明にはほど遠かったかもしれない。

 ただし、確かに言えるのは、今日私たちが抱いている吸血鬼のイメージは、これまで人類が紡ぎだしてきた歴史、信仰、幻想、芸術的創作の厖大な集積によって重層的にかたち作られているということである。それは、悪魔、魔女、死神、人狼といった西洋暗黒史の闇のキャラクターたちの場合と同根である。つまり、吸血鬼とは集合記憶にほかならないのだ。

 

 


*出典:「ヴァンパイア・ツアーへようこそ」(東宝製作ミュージカル『ダンス オブ ヴァンパイア』公演プログラム, pp.40-43, 2009-07)

 

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