*レジナルド・スコット『魔女術の暴露』(一五八四年) Reginald Scot, The Discoverie of Witchcraft (1584)

 

【解説】

 イングランドの魔女迫害は、一五六六年に最初の魔女が処刑されて以降、十六世紀終わりにかけてピークを迎える。そして魔女裁判に際しては、魔女の超自然的な能力について驚くべき自供や証言の数々が喧伝され、人々を震えあがらせた。しかしそのいっぽうで、魔女の存在やその超自然的能力について懐疑的な見解を抱く者たちもいた。イングランドにあって、そうした懐疑的見解を表明した代表的人物が、レジナルド・スコット(一五三八~九九)である。

 スコットはイングランド南東部ケント伯爵領の富裕で教養ある地方地主であった。敬虔なカルヴァン主義者であり、一年ほど貴族院議員を務めたこともある。彼は一五八二年の同州セント・オシスでの魔女処刑をはじめ、周辺地域での一連の魔女迫害がきっかけとなって、『魔女術の暴露』を執筆するにいたった。

 『魔女術の暴露』は全十六巻からなる大冊であり、魔女術だけでなく呪文や詐欺師の手口についても言及するなど、その内容はかなり広範に及んでいる。そのなかでも主要な見解をまとめると、以下のとおりである。スコットはまず魔女の社会学的考察を行ない、近隣の人々から疎まれている哀れな物乞いの女性がもっとも告発されやすいとしている。また、魔女術に関しては聖書に根拠はなく、魔女にそうした力を認めるのは偶像崇拝であるとしている。さらに、ボダンによって列挙された魔女術の犯罪について批判的に分析し、それらは魔女にたいする特別の法律ではなく、既存の法律に基づいて訴追することが可能であるとしている。そして最後に、哲学や科学の知見を用いて、魔女が自供したような行為が不可能であることを示している。

 『魔女術の暴露』は刊行されるや賛否両論を巻き起こした。後世の懐疑論者たちから論拠とされるいっぽうで、魔女迫害派からは激しい非難の標的にされた。とくにスコットランド王ジェームズ六世は、『魔女術の暴露』を言語道断と断じて焚書にし、スコットならびにヴァイヤーの「邪説」に反論するために『悪魔学』(一五九七)という著書まで執筆している。ただし、イングランドでは大陸とは違ってかなり自由にみずからの見解を公表することができたため、スコットが本書の出版によって不都合を蒙るということはなかった。

 スコットの著書はまた、劇作家トマス・ミドルトンが戯曲『魔女』(一六〇四)を着想する源となり、シェイクスピアには『マクベス』(一六〇六頃)の魔女の着想を与えたとされる。

 

【出典】

* Reginald Scot, The Discoverie of Witchcraft, with an introduction by the Rev. Montague Summers, New York, Dover, 1972, pp.273. 

 

【翻訳】 

第十六巻、第一章:エピローグ風の結論。前述した魔女論者による数多くのばかげた考えを繰り返し示し、それについて論駁するとともに、異端審問官にして『魔女への鉄槌』の編纂者であるヤーコプ・シュプレンガーとインスティトリスの論拠にたいして論駁する。

 
 私はこれまで、魔女術に関して自分が考え集めた事柄を読者に示してきた。この件に関して述べている著述家たちのあいだには、その国籍、身分、財産、宗教のいかんにかかわらず、私は実質的および基本的になんらの違いも見いだせない。そして、ほとんどすべての者が無節操で架空のありえない事柄にそろって同意し、『魔女への鉄槌』から自分のあらゆる論拠の材料をかき集めていると分かった。よって彼らは異議を唱えられると、新手のたわごとをでっち上げるか、年老いた女中のところに赴いて、魔女術の類に関するいっそう愚かな迷信について教えてもらわなければならなくなる。ただし、これまで繰り返し言及してきたヤーコプ・シュプレンガーとインスティトリスが、あの『魔女への鉄槌』という該博な学術書の共同執筆者であり、この分野におけるもっとも偉大な学者であったということは、知っておく必要がある。私は魔女術に関する見解を論駁するために、彼らの論拠やばかげた考えをたっぷりと収集した。この二人は教皇によって異端審問官に任命され、ケルン大学などのあらゆる学者たちの承認と称賛を得ていた。その目的は、魔女を召喚し、投獄し、有罪宣告を下し、処刑して、しまいには魔女の財産を押収し没収するためであった。

 彼ら二人の学者は、自説の信憑性を主張しおのれの不正を繕うために、あの途轍もない虚偽の数々を公にした。そして、この虚偽はあらゆるキリスト教徒を損ない、いまだにたいへんな権威をもって流布している。そのため、もしも彼らの著書がこれほどまでにばかげて誤っていなかったとしたら、その信憑性を突き崩すのは至難の業であろう。二人はそうした信憑性を自画自賛している。それなのに、人々はすっかり魅了されているため、彼らの言うことを鵜呑みにしてしまっているのだ。こうした自画自賛ぶりを証明するものとして、彼らが同書のある箇所で次のように述べていることを、私は指摘しておこう。すなわち、彼らは魔女にたいする苛酷な訴訟手続きに携わったために、とくに夜のあいだに耐えがたい攻撃を受け、針が自分のナイトキャップに何度も刺さっていたという。そして、これは魔女の魔力によるものであるが、自分たちの純潔さと清浄さ(と彼らが称するもの)によって奇跡的に危害を免れたと述べている。ところが、彼らは自分の清浄さを誇示するためにそんなことを述べているのではないと断じている。鼻持ちならない自画自賛ぶりを糊塗するために。しかし、神は彼らの書が全編これ鼻持ちならない嘘や旧教にすぎないことをご存知である。その基盤や土台がいかに軟弱で揺らいでいるか、いかに長続きしそうもないか、そしていかに貧弱なものにすぎないか、子供でさえたちまちにして見抜けるというものだ。


[出典:田中雅志 編著・訳『魔女の誕生と衰退 ― 原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』 三交社 2008年]


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