*ヴュルツブルクの魔女裁判(一六二九年) The Witch Trials at Würzburg (1629)

【解説】

 ヴュルツブルクとその周辺地域では、十七世紀初めに領主司教ユリウス・エヒテルス・フォン・メシュペルンブルンのもとでたびたび激しい魔女迫害が行なわれた。しかし、歯止めのきかない迫害へと激化するのは、フィリップ・アドルフ・フォン・エーレンブルクが領主司教に就任した一六二三年からである。この恐慌状態は、一六三一年、同司教の死去とスウェーデン軍による占領によって、ようやく終止符が打たれた。

 一六二九年二月十六日の日付がある処刑一覧には、ヴュルツブルクでは二七年から二九年のあいだに計二九回の処刑が行なわれ、全部で一五七人が処刑されたと記されている。年代記作者のイグナーツ・グロプは、最終的にヴュルツブルク市内だけで二一九人が処刑されたと伝えている。また、バンベルクで印刷された公的文書によれば、同司教区全体で処刑者数は九〇〇人であったとされている。

 以下に訳出するのは、一六二九年八月に、領主司教の司法顧問官が友人に宛てた手紙である。原文はドイツ語である。オリジナルはミュンヘンのバイエルン州立図書館に保管されている。

 この手紙の文面からは、トリーアの場合と同様に、告発の恐怖は身分の上下や貧富や性別にかかわりなく降りかかったことがうかがえる。とりわけ痛ましいのは、多くの幼い子供たちまでもが犠牲になったと記されていることである。先述の処刑一覧にも子供の犠牲者が数多く記載されており、そのことからも、魔児処刑についての手紙の記述が誤りや誇張ではなかったことがうかがえる。

 

【出典】

*George Lincoln Burr, The Witch-Persecutions, in Translations and Reprints from the Original Sources of European History, vol.3, no.4, Philadelphia, Pa., Department of History of the University of Pennsylvania, 1907, pp.28-29.


【翻訳】

 この魔女という問題については、閣下はすでに終息したとお考えになっていらっしゃいますでしょうが、いまふたたび勃発し、じつに筆舌に尽くしがたい状況にあります。ああ、なんという惨状でしょう!いまも市内には、厳しい告発を受けてすぐにでも逮捕されそうな者が四百人はいるのです。しかも、その者たちは、身分の高い低いを問わず、男女も問わず、聖職者さえいるのです。わが領主司教様の領民は処刑を余儀なくされていますが、じつはそのなかには、あらゆる公職、同業者団体に属している人々もいます。つまり、聖職者、選挙で選ばれた議員、医師、官吏、裁判所補佐人などです。なかには閣下もご存じの者もおります。法学生も逮捕されることになりそうです。領主司教様のもとには、いずれ司祭となる四十人以上の学生がおりますが、そのなかの十三人か十四人は魔女であると言われています。数日前、司教代理がひとり逮捕されました。同じく出頭命令を受けていた他の二人は逃亡しました。私たちの教区の宗教法院の書記で、とても学識ある人物も、きのう逮捕され、拷問を受けました。つまりは、町の三分の一の人々が関与しているにちがいないというありさまです。聖職者のなかでも、もっとも裕福な者、もっとも信頼された者、もっとも優れた者も、すでに処刑されました。一週間前には、十九歳の娘が処刑されました。彼女は町一番の美人であると評判で、ことのほか淑やかで清純であると誰からも認められていた娘でした。彼女に続いて、七、八人のこのうえなく善良で魅力的な人物もまた処刑されることでしょう。[中略]このようにして、多くの者が神を拒絶し魔女の踊りに加わったとして死刑に処せられるのです。けれど、彼らはこれまで誰からも咎められたことのなかった人たちなのです。

 こうした惨憺たる有り様について、締めくくりとして申し上げますが、三百人に達する三、四歳の子供たちが悪魔と交わったと言われています。私は七歳の子供たち、それに十歳と十二歳と十四歳と十五歳の将来のある学童たちが処刑されるのを見ました。貴族の人々はどうかといえば......。けれど、その惨状についてこれ以上は書くことはできませんし、また書くべきでもないでしょう。さらに身分が高い人たちもおります。そうした人たちについては、閣下ご自身がご存知で、その名をお聞きになったらきっと驚かれる、というよりとても信じられないことでしょう。正義が行われますように......。

 

 追伸。不可思議で恐ろしい出来事がたくさん起こっておりますが、次のことは紛れもなく本当に起こった出来事です。すなわち、フラウ・レンクベルクという場所で、人間のすがたをした悪魔が、八千人の手下とともに集会を催し、全員の前でミサを執りおこない、その会衆(すなわち魔女ども)を相手に、聖体拝領のかわりにカブの皮むきをしたのです(1)。その場では、不潔なだけでなく、このうえなく恐ろしくも忌まわしい冒瀆行為の数々が行われました。それについて書くと身の毛がよだちます。また、これもまた紛れもない事実ですが、一同はみな、生命の書には自分の名を記載しませんと誓約し、それを書記が記録するのに同意しました。この書記というのは、私も私の同僚たちもよく知っている人物です。連中の名前の記入された書物が発見され、取り調べがきちんと行われますよう願っております。

 

【訳註】

(1)悪魔学の言説によれば、サバトでは聖餅のかわりにカブや木切れが配られるとされた。

 


[出典:田中雅志 編著・訳『魔女の誕生と衰退 ― 原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』 三交社 2008年]


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