*バンベルクの魔女裁判(一六二八年)  The Witch Trials at Bamberg (1628)

【解説】

 ドイツ南部では、一七世紀前半、それもとりわけ三十年戦争のあいだに、バンベルク、ヴュルツブルク、エルヴァンゲン、そしてアイヒシュテットといった各都市で、激しい魔女狩りの嵐が吹き荒れた。

 バンベルクの魔女裁判は、一六〇九年に領主司教に就任したヨーハン・ゴットフリート・フォン・アシュウゼンによって本格的に着手される。その在任中で最悪だったのが一六一七年であり、一〇二人が処刑されたとされる。

 それからいったん沈静化した迫害熱は、次に領主司教となったヨーハン・ゲオルク二世のもとで、一六二五年から三〇年にかけて、さらに激しく再燃する。この時期、属司教フリードリヒ・フェルナーと四人の法律顧問からなる「魔女委員会」が設置された。また、市内および司教領各地には、大勢の被疑者を収容できる「魔女の家〈ドルーデンハウス〉」が建設された。苛酷な拷問によって共犯者が芋づる式に告発され、犠牲者はエリート層にまで及んだ。そのなかには五人の市長も含まれる。バンベルクで「司教および司教座聖堂参事会全員の同意」のもとに印刷された公的文書には、最終的に六〇〇人以上が処刑されたと記されている。

 バンベルクの公式裁判記録には、同地の魔女裁判を強烈に印象づける資料が現存している。それは、市長ヨハネス・ユニウスの裁判記録である。ユニウスは一六〇八年に市長に就任し、二八年に五五歳で逮捕されるまでその要職にあった。逮捕前、彼の妻はすでに魔女として処刑されていた。

 ユニウスの裁判記録のなかには、彼が獄中にあって娘に宛てた手紙が含まれている。彼はこの手紙でバンベルクの魔女裁判の実態と恐怖を克明に綴っている。そこには、極限状況に置かれた人間が魂から発する真実の言葉が刻まれており、歴史文書からは通常なかなか窺い知れない生身の人間の肉声を読みとることができよう。

 以下はそのユニウスの手紙の抄訳である。この手紙は魔女裁判においてもっとも有名な資料の一つであり、すでに邦訳もされているが(1)、繰り返し紹介するに値する重要な資料であると思われる。


(1)森島恒男『魔女狩り』,(岩波文庫), 岩波書店, 一九七〇年, 148-155頁。ロッセル・ホープ・ロビンズ『悪魔学大全』, 松田和也訳, 青土社, 一九九七年, 595-597頁。


【出典】

*George Lincoln Burr, The Witch-Persecutions, in Translations and Reprints from the Original Sources of European History, vol.3, no.4, Philadelphia, Pa., Department of History of the University of Pennsylvania, 1907, pp.26-28.


【翻訳】

[ユニウスの裁判は結審し、彼は判決にしたがって火刑に処せられた。ところが、バンベルクにたまたま一通の手紙が保管されている。乱れた筆跡のその手紙は、裁判のさなか(一六二八年七月二十四日)に、ユニウスが自分の娘に宛てて密かにしたためたものである](1)


 何度も何度もさようなら。わが愛しい娘ヴェローニカよ。私は無実の罪で投獄され、無実の罪で拷問を受け、無実の罪で死ななければならない。魔女の牢獄に連れてこられた者はみな、魔女になるしかない。あるいは、何かをでっち上げたり思いつくまで(なんと遺憾なことか)、拷問を受け続けなければならないのだ。私の身にいったい何が起こったのかを、おまえに伝えておきたい。私が初めて拷問を受けたとき、ブラウン博士、ケッツェンデルファー博士、それに二人の見知らぬ博士がいた。ブラウン博士は尋ねた。「おまえはどうしてここにいるのか分かるか」。私は答えた。「偽りと不運のせいです」。すると彼は言った。「聞きたまえ。おまえは魔女だ。進んで自白してくれないか。もししないのなら、証人と刑吏を呼ぶことになるが」。私は言った。「私は魔女ではない。それについては、なんら良心にやましいところはない。証人が何人いようと気にしない。喜んで証人の言うことを聞こうではないか」。すると、司法顧問官の息子が連れてこられた。「中略」そののち、ホップフェン・エルスが連れてこられた。彼女は、私がハウプツモールの森で踊っているのを見たという。[中略]私は言った。「私はこれまで神を拒絶したことはないし、これからもするつもりはない。神の御恵みにより、そんなことはしないのだ。そうするくらいなら、なんにでも耐えてみせる」。すると、(いと高き天にまします神よ、哀れみたまえ)、刑吏がやってきた。私は刑吏に両手を縛られ、親指締めをかけられた。すると、爪やそこらじゅうから血が流れだした。そのため、四週間というもの、私は手を使えなかった。この筆跡を見れば分かるとおりだ。[中略]それから、私はまず服を脱がされ、両腕を後ろ手に縛られ、刑具に吊された(2)。天地の終わりかと思った。私は八回も吊されては落下させられ、極度の苦痛を味あわされた。[中略]

 こうした拷問を受けたのは、六月三十日金曜のことだった。私は神に救いを求め、拷問に耐えるしかなかった。[中略]ついに刑吏は私を牢獄に連れ戻したが、そのとき私に次のように言った。「旦那、どうかお願いだから、嘘であれ本当であれ、何か自白してくれないか。とにかく、何か考えだしてくれ。これからされる拷問を我慢できやしないから。たとえみんな我慢できたとしても、あんたは逃げられない。伯爵様でも逃げられやしない。自分は魔女だとあんたが言うまで、拷問は次から次へと続くんだ。それまで拷問は終わらない。これまでのどの裁判でもそうだったでしょう。どの裁判もみんな同じなんだ」。[中略]

 私はとても辛く苦しかったので、一日だけ考える猶予と、司祭との面会を求めた。司祭との面会は却下されたが、考える猶予は許された。愛しいわが子よ、私がどんなに危機的状況にあったか、そしていまも依然としてあるか、分かっておくれ。私は魔女ではないのに、魔女ですと言わねばならない。それに、いままで一度として神を拒絶したことなどないのに、いまやそうしなければならない。昼も夜も私は思い悩み抜いた。そして、ついに新しい考えを思いついた。案じるのはもうやめにしよう。ただ、司祭に相談するのを許されなかったのだから、自分で何か考えて言うことにしよう。実際にはやっていないが、ただ口からでまかせで何か言えばよいのだ。そして、あとで司祭に告白して、あれは無理やり言わされたんですと話すことにしよう。[中略]こうして、私は次のような自供を行った。しかし、それはみな真っ赤な嘘だ。

 愛するわが子よ、自供は激しい苦悶と苛酷な拷問を逃れるためにしたものだ。もうこれ以上耐えられなかったのだ。

 [続いてユニウスの自供が記されるが、裁判記録での内容とほぼ同じである。ただし、彼は次のようにつけ加えている](3)

 それから私は、[魔女のサバトで](4)誰を見かけたか言わされた。見知らぬ人ばかりでした、と答えた。「この古狸め。刑吏に引き渡してやるぞ。さあ、言うんだ。司法顧問官がそこにいただろう」。そこで、私はいましたと答えた。「ほかに誰かいたか」。私は誰も知るはずはなかった。すると、「通りという通りを歩け。広場から出発して、通りから次の通りへと歩きまわるんだ]と命じられた。私は通りで何人かの名前を言うはめになった。ランゲ・ガッセという通りに出た。誰も知っている人はいなかった。けれど、私はそこで八人の名前を言わされた。ツィンケンヴェルト通りでは、さらに一人の名前も。それから、ゲオルク門へと通じる上流の橋を渡った。けれど、橋のどちら側でも、知っている人はいなかった。城にも知っている人はいなかった(たとえどんな人でも、恐れることなくその人の名を言えというのだ)。こうしてすべての通りでたえず質問攻めにされたが、私はこれ以上は答えることができず、またそのつもりもなかった。すると、私は刑吏に引き渡された。刑吏は、私の服を脱がし、全身の体毛を剃り、そして拷問にかけるよう命じられた。「この悪党は、マルクト広場に一人の知り合いがいる。毎日一緒にいた奴だ。なのに、そいつの名前を言わない」。それはディートマイヤーのことだ。そのため、私は彼の名前も挙げなければならなかった。

 それから、私は自分が犯した罪を自供しなければならなかった。何もしていません、と答えた。[中略]「この悪党を吊しあげろ!」と言われ、自分の子供たちを殺すつもりだったが、そのかわりに馬を殺しました、と私は言った。けれど、それでは容赦してもらえなかった。そこで、聖餅も盗んで汚しました、とつけ加えた。このように言うと、ようやく私は解放された。

 愛するわが子よ、これが私の自供のすべてだ。この自供のために、私は死ななければならない。しかし、それはみな真っ赤な嘘で、でっち上げなのだ。ですから、神よ、私をお救いください。私は我慢の限界を超えるまで拷問の恐怖にさらされて無理やり言わされたのだ。連中は被疑者が何か自白するまでは、けっして拷問をやめない。これでは、どんなに善良な人でもかならずや魔女にされてしまう。誰も逃れられない。たとえ伯爵であっても。[中略]

 愛するわが子よ、この手紙のことは秘密にし、誰にも見つからないようにしなさい。さもないと、私はこのうえなく酷い拷問を受け、看守は首を刎ねられることになるからだ。こんなことはとても厳しく禁じられているのだから。[中略]愛するわが子よ、この使いの男になにがしかの金を渡してくれ。[中略]これだけ書くのに何日もかかってしまった。両手とも不自由になってしまったよ。じつに嘆かわしいありさまだ。[中略]

 さようなら。おまえの父ヨハネス・ユニウスは、もう二度とおまえと会うことはないだろう。

 一六二八年七月二十四日

 

[手紙の余白には、次のような書き込みが見られる](5)

 愛するわが子よ、私は次の六人がそろって行った自供により告発された。すなわち、司法顧問官、その息子、ノイデッカー、ツァーナー、家庭教師のウルゼル、それにホップフェン・エルスである。しかし、この六人の自供はすべて偽りであり、無理やり言わされたものだ。というのも、彼らはみなそのように私に告げ、そして自分たちが処刑される前に、神の名において私に許しを乞うたからだ。[中略]彼らは私がまったくの無実であると分かっていた。無理やり自供させられたのだ。ちょうど私の場合と同じに。[以下略]


【訳註】

(1)[ ]内はバーによる注記。

(2)吊し刑の拷問。

(3)[ ]内はバーによる注記。

(4)リーによる注記。

(5)[ ]内はバーによる注記。



[出典:田中雅志 編著・訳『魔女の誕生と衰退 ― 原典資料で読む西洋悪魔学の歴史』 三交社 2008年]

 

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